「文殊大菩薩御前 ご先祖を迎え 送りし盆の四日間」
令和八年八月十三日の迎え火から十六日の送り火まで、本年も当山のお盆の諸行事を、つつがなくお勤めすることができました。
盆期間中は雨もなく、蒸し暑い日が続きました。その中にも多くの皆様にご参拝いただき、ご先祖様をお迎えし、そしてお送りする四日間を共に過ごすことができました。
お盆の営みは、毎年同じように見えて、決して同じではありません。
時代が変わり、人も変わる。
それでも、ご先祖様を思い、手を合わせる心は変わることなく受け継がれていきます。
◆ 今年、新しく加わった小さな灯
今年は、これまでの竹灯籠に加えて、ペットボトルを利用した灯籠のお絵描きを行いました。
用意した紙に、それぞれ好きな絵を描いていただくという、いたって素朴なものです。
花を描く人。
仏さまを描く人。
鳥や金魚を描く人。
子どもだけではありません。大人も色鉛筆を手に取り、思い思いの絵を描いてくださいました。




そこには、お手本も正解もありません。
一人一人が紙に向かい、自分の思うままに描く。
そして出来上がった絵を灯籠に仕立て、灯を入れてみると、昼間の一枚の絵とはまた違った、やさしい表情を見せてくれました。

上手に描くことが目的ではありません。
自分の手で一つの灯をつくり、その灯でご先祖様をお迎えする。そんな小さな参加の形が、今年のお盆に新しく加わりました。
◆ 竹に託された、それぞれの思い
今年はもう一つ、新しい試みとして竹短冊を用意しました。
竹灯籠として役目を終えた竹、割れや傷みの生じた竹にも、もう一度新しい役目を持たせることができないだろうか。
そんな思いから生まれた竹短冊です。
そこには、ご参拝の皆様がそれぞれの胸の内を書いてくださいました。

たくさんの竹短冊の中に、こんな言葉がありました。

「一隅を照らす 母の思い」
短い言葉です。けれど、しばらくその前に立つと、いろいろなことを思わせます。私たちは皆、誰かに育てられ、誰かに支えられ、今日まで生きてきました。
親から子へ。
子から孫へ。
そして、人から人へ。
大きなことを成し遂げなくとも、目の前の一人を思い、その人のために何かをする。その小さな積み重ねもまた、「一隅を照らす」ことなのかもしれません。
竹短冊には、亡きご先祖を思う言葉、家族を思う言葉、これからを願う言葉など、さまざまな思いが託されました。
その中には、人だけではなく、長く共に暮らした小さな命を思う一枚もありました。
「どこかで、いつかまた会えればいいね」
名前を呼べば、そこにいた姿が浮かぶ。いつもの場所、いつもの仕草まで思い出す。ご縁をいただいた命を思い、もう一度会えればと願う。
それもまた、お盆に手を合わせる一つの姿なのでしょう。
◆ 迎え火の夜
八月十三日夕刻。
文殊殿札幌大仏様御前にて読経を勤め、また合祀霊位観音霊堂を礼拝、そして迎え盆行事の迎え火に火が入りました。

炎が立ち上がると、辺りの空気が変わります。
ご先祖様をお迎えする人。
亡き家族を思う人。
静かに炎を見つめる人。
同じ迎え火を囲んでいても、その胸の内にある思いは、それぞれ違うことでしょう。

その周りでは、竹灯籠、竹短冊、そして今年初めて加わったペットボトル灯籠にも灯が入りました。

誰かが作り、
誰かが描き、
誰かが灯し、
そして誰かを思う。
一つ一つの灯の向こう側には、人の姿があります。
◆ 受け継がれる手
お盆の境内には、新しいものだけではなく、長く受け継がれてきたものもあります。
お地蔵様に掛けられた赤い前掛けも、その一つです。

一枚一枚、人の手によって掛けられてきた前掛け。
時代が移っても、その手から次の手へと受け継がれてきました。新しいものを加えることと、古いものを大切に守ること。
その二つは相反するものではなく、共にあってこそ、次の時代へつながっていくものなのでしょう。
◆ 十六日 盆総供養、そして送り火
十三日にお迎えしたご精霊と過ごしたお盆も、十六日には送りの日を迎えました。
盆総供養を勤め、ご先祖様、諸精霊に読経を捧げます。

そして境内では、送り火が焚かれました。

迎え火と送り火。
燃えているものは同じ炎でありながら、見つめる心は少し違います。
十三日は、お帰りなさい」とお迎えする火。
十六日は、「また来年、お会いしましょう」とお送りする火。
炎の前で手を合わせる皆様の姿を見ながら、今年もまた一つのお盆が結ばれていきました。
◆ 灯を絶やさぬために
送り火を終え、境内の灯が消えたばかりですが、お寺では早くも来年のお盆、迎え火の話が始まっています。
「来年は、こんなことができないだろうか」そんな声が自然に出てきます。
人手が十分にあるわけではありません。昔と同じことを、そのまま続けていくことが難しくなっているのも現実です。
だからこそ考えます。
何を残し、何を変えるのか。
迎え火を焚き、ご先祖様をお迎えする。
家族が手を合わせる。
そして、その姿を次の世代にも見てもらう。
その根にあるものを大切にしながら、今の時代だからできる工夫を、ほんの一味加えてみる。
今年の竹短冊も、ペットボトル灯籠のお絵描きも、そんなところから生まれました。
日本に長く受け継がれてきたお盆という伝統文化。
昔の姿をただ保存するだけではなく、今を生きる人がそこへ手を添え、次の人へ渡せる姿にしていく。
そこには、お寺だからこそできる何かが、まだあるように思います。
一人が絵を描く。
一人が短冊に思いを書く。
一人が灯をともす。
一人が迎え火の前で手を合わせる。
その小さな一つ一つが重なって、今年のお盆の灯となりました。
迎え火も送り火も、最後には消えます。
けれど、人から人へ渡された思いまで消えるものではありません。
今年の送り火が消えたところから、
もう来年の迎え火への一歩が始まっています。
灯を絶やさぬために。
そして、その灯を次の世代へ渡すために。
来年は、どんな一味が加わるでしょう。
それを考えることもまた、お寺のお盆の始まりなのかもしれません。
◆ 送り火の翌朝 ― 静けさの中に ◆

十六日の送り火を勤め、お盆の四日間は静かに結びとなりました。
人影のなくなった十七日夜半の文殊殿には、灯籠の灯だけが静かに残っていました。
あれほど多くの人の手と想いが行き交った場所とは思えぬほどの静けさです。
そして一夜明けた境内には、白い桔梗が朝の光の中に咲いていました。
送り火でお見送りしたご先祖様を、もう一度そっと見送っているようにも見えます。

昨夜までの賑わいを知ってか知らずか、桔梗はいつもの朝と変わらず風に揺れています。
お盆を終えた境内に残ったのは、灯のない静けさと、夏の朝の一輪一輪でした。
またいつもの寺の一日が始まります。
尚、札幌大仏文殊殿内には竹灯籠を、玄関横プロムナードには割れ竹を活用した竹短冊を、九月末まで展示いたしております。
ご参拝の折には、どうぞごゆっくりご覧ください。
竹短冊は展示期間中もお書きいただけます。ご先祖様への感謝、ご家族への想い、日々の願いなど、それぞれのお心を竹短冊にお託しください。お書きいただいた竹短冊は、展示終了後、当山にてご供養申し上げます。
合 掌
■ 散念棒 ■
ご先祖様への感謝を胸に、今ある自分を静かに見つめてみませんか。
心に残る迷いを一つ、文殊さまの御前で手放してみる。
一つ減らした心の余白に、また新しい一歩が生まれます。
