迎え火の竹灯籠づくりが、今年も迎え盆を前に始まりました。
境内の一角に並ぶ竹の周りには、先に安全な作業手順を学んだ参加者の皆さんが集まっています。
ドリルを握る手。竹を支える手。見守る手。そして励ます手。
年齢も歩んできた人生も異なる人々ですが、この日ばかりは同じ灯を目指す仲間です。
作業の合間には笑い声が響き、ときには真剣な表情で図柄と向き合う姿も見られました。

竹灯籠づくりは、一人で完成するものではありません。
支える人がいて、教える人がいて、見守る人がいて、そして共に喜ぶ人がいて初めて一つの灯が形になります。
今年もまた、その当たり前のようでいて有難い風景が境内に広がっていました。
中には八十五歳を迎え、今秋には東京へ移り住むことを決められた女性の姿もありました。
新たな人生への歩みを前に、札幌での最後の思い出づくりとお見受けいたします。
仲間たちに支えられながらドリルを握るその姿は、どこか迎え盆を待つ竹灯籠にも重なるものがありました。


迎え火とは、ご先祖を迎えるための灯であります。
しかし人の世には、迎えるばかりでなく送り出す灯もまたあるのでしょう。この日、竹を囲む皆さんの眼差しには、作品づくりへの喜びとともに、新たな人生へ歩み出す仲間を見送る温かな思いも感じられました。 今年もまた、当山総代の竹灯籠づくりに参加されるお一人の姿がありました。かつて文殊菩薩様の霊場・五台山への巡礼を共にしたご縁を思い出します。お寺へ来られると、まず納骨堂に安置されているお父様へ声を掛け、それから皆さんの輪に加わられます。
ご夫婦そろって温和なお人柄で、多くの方に親しまれてこられました。
人は亡き後も、思い出の中だけで生きるのではなく、日々交わされる言葉の中にも生き続けているのでしょう。


ご参加皆様の完成した灯籠を見つめる眼差しには、亡き人への思いと共に、これからも続いていく日々への力強さも感じられました。
お寺で交わされる何気ない言葉や笑顔もまた、人と人とを結ぶ大切なご縁の一つであります。


穴を開ける時間よりも、完成した灯を囲む時間の方が長かったかもしれません。
出来上がった作品を互いに眺め、写真に収め、その喜びを分かち合う姿もまた、この竹灯籠づくりの大切な一場面でした。
竹に開けられた無数の小さな穴は、やがて迎え盆の灯となります。
そしてその灯は、ご先祖への祈りだけでなく、人と人とを結ぶ思いを照らしてくれるのかもしれません。
この様な、夏模様の一日 でした。ご縁のあった一般参加の皆様にも御礼申し上げます。
合 掌
■ 散念棒 ■
竹に小さな穴。
心にも、いつの間にか穴、穴、穴。
迎え盆に、
内から湧き出る灯は、
さて何処を照らすのでしょう。
