節分会並びに散念棒お焚き上げ勤まる

札幌も玄関前除雪後の雪捨て場がない状況が続く中、本年の節分会が執り行われました。厳しい冬の只中ではありましたが、多くの方々が参拝され、それぞれに一年の息災を祈願されました。人の足が自然と仏前へ向かい、手を合わせる姿が印象に残る一日となりました。
また、この日は文殊大菩薩の御前にて折られ、これまで納められてきた散念棒のお焚き上げが勤まりました。折られた散念棒には、言葉にされることのなかった迷いや執着がそれぞれに込められており、お焚き上げをもって役目を終え、ひとつの区切りが結ばれています。

文殊菩薩が手にする利剣は、迷いを力で断つための武器ではなく、物事の本質を見抜く智慧の象徴とされます。当山に設けた「散念棒」は、この利剣の思想を形に写したものです。参拝にあたり、願いを定める前に、心に残る迷いや執着を一つ選び、棒を折るという所作によって区切りをつけます。
書き残さず、声にも出さず、捨て去るものを一つ心に定めて、ただ折る。その一瞬を区切りとして心を整え、文殊大菩薩の御前に立ちはじめて、願いの所作へと向かいます――それが当山の散念棒のあり方です。

散念棒の所作を、折々の区切りとして行じたいという声がありました。
迷いは節目にだけ現れるものではなく、日々の暮らしの中に生じるものでもあります。
現在はその思いを受け、**散念棒の行(ぎょう)**として、年間を通して設けています。

~ 記録 散念棒お焚き上げ祈願文 ~

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