その四
文  石井忠雅 写真 萩谷重雄
平成17年9月
「北海道新四国八十八ヵ所霊場」巡拝は6月28日、第二十五番札所無量寿寺で結願し、昨年夏以来の旅を無事終了しました。
 この度は27、28両日、小樽市から仁木町にかけて20ヵ寺でした。すでに昨年、第十七番札所龍徳寺ほか三寺[19]不動院[20]金毘羅大本院[24]日光院)と今年5月「十三佛霊場巡り」で[38]阿弥陀院(余市)を参拝しています。
 第一日は五百羅漢で名高い[18]宗圓寺に始まり[22]東光寺〜[21]精周寺〜[23]観音寺と道順を変え北西に走って手宮の[27]南龍寺。高島の三寺([30]正林寺[29]高臺寺[28]新正寺)を巡ったあと引返して[31]正光寺〜[26]湯殿山光明院、一泊。
 二日目は仁木町にとび[42]仁玄寺から逆打ちで余市の[41]湯殿山―[39]大乘寺―[37]密嚴寺―さらに海岸線を東へ蘭島の[36]太平寺―忍路の[35]大忠寺〜[34]桃内地蔵堂〜塩谷の[33]徳源寺。そして長橋[32]興聖寺、最後は[25]稲穂の無量寿寺で結願致しました。
忍路・高島に多い地蔵尊
 小樽は坂の街。狭い道幅のため処々一方通行を規制されて、順路変更を余儀なくされました。宗圓寺は徳川家光時代、福山(現松前)に建立された曹洞宗のお寺。御本尊釈迦如来像の左右に五百羅漢が安置されています。純日本風の造りと五百体が全部揃っており、北海道有形文化財に指定されています。
 精周寺は湯殿山大日坊の貫主が明治15年、今の若松町に懸錫所を建てたのが始まりで、慶長年間に造られたといわれる大日如来像は元羽黒山の御本尊であったとの事。脇に弘法、興教両大師、不動明王をお祀りしています。
 明治8年、榎本武揚とともに来樽した比叡山の僧正が建立した観音堂は、東京の浅草寺から浅草観音の分身を譲り受け本尊としますが、寺号「海龍王山有門院浅草観音寺」を許されたのは明治30年になってからでした。神道国政化政策の時代、容易に新規寺院は認められなかったのです。
 高島、忍路は地蔵尊の多いところ。曹洞宗二寺・正林寺、高臺寺と真言宗の新正寺は高島の一角に建立されています。正林寺には「新四国第三十番・西国第十七番札所」(縦9センチ横2センチ)の寺印があり、小樽六地蔵の一つ延命地蔵堂が設けられています。
 縁起によりますと、高島地蔵尊は忍路高島場所請負人西川伝右衛門が建立した佛像です。
元禄11年全道に疫病が伝播して多数の死者が出、15〜16年には天候不順から飢饉に陥り、暴風による海難で死者相次ぐなか、伝右衛門は高島場所に南無阿弥陀佛名号の石塔と地蔵尊石像の二基を勤請し、運上屋の近傍に辻堂を造り安置して霊を弔いました。元禄17年の事です。松前、忍路高島両郡に於ける最初の佛像といわれ、後年、正林寺建立の際、境内に奉祀されたと伝えられます。
 高臺寺にも延命地蔵堂、大師堂が建立されています。三千坪に及ぶ鶴齢山観音公苑は三十三番観音霊場として親しまれ、大黒尊天御神殿などが祀られています。新潟県人によって継承されてきた高島越後盆踊りは小学生から80歳代まで160名の会員が月二回、住職が会長を勤める保存会によって練習を積んでいるそうです。
 新正寺の御本尊は大日如来で脇に弘法、興教両大師。御本尊の陰に江戸時代初期出羽三山中蓮寺からの佛像が秘佛として奉祀されています。子育地蔵尊・水子地蔵尊などのほか水商売の佛・八龍観音菩薩が祀られています。
 湯殿山光明院は『出羽三山大権現祈願所・村上不動尊根本山・天台宗湯殿山』―創立明治24年7月と墨書され、さらに佛さまと権現さまが併祀されています。『御本尊 胎蔵界大日如来(湯殿山大権現)』、脇立『観世音菩薩(羽黒山大権現)』、『阿弥陀如来(月山大権現)』、前立『村上大聖不動明王』とあります。
 開基池田廣信師は羽黒山で修行し行者となって明治19年小樽に移住しました。祈願所を開き信徒の心配事相談にあたってきたと云われます。漸く寺号公称を得るのは明治34年。廃佛毀釈の世にあって羽黒山を強く表面に出すことができなかったものと考えられています。池田廣邑住職は「余市の湯殿山も兼務していますが、昭和初期に作られたこの八十八ヵ所は大切にすべきです。新しい霊場を造る動きも悪くないが、真言宗ばかりでない昔のがいい」とお話されました。
 
二日目は早朝から西へ走り、仁木町の仁玄寺へ。明治20年徳島入植者によって大師堂がつくられ、昭和58年現在の伽藍に一新されました。境内の大黷ヘ入植者の植えたもので町教委から天然記念物に指定されています。平成5年には信者の寄進で鐘樓堂が建立されています。
 続いて参拝した余市・湯殿山は現在無住の小殿で光明院の兼務寺となっています。
 余市神社の脇を少し登ると左右の門柱に「湯殿山光明院余市教会」「出羽三山―権現祈願所」と大書され、また「村上大聖不動明王」の文字に「月山・湯殿山・羽黒山」の三行を冠した石碑が建てられています。明治23年羽黒山行者池田廣信の手になるものでした。
 草むす境内に修験道の名残りを留める石佛数十体が並び、近所に住む一人は「十五、六年前までお祭りには夜店も出て賑わっていたんですよ」と話してくれました。
 大乘寺は昨年、創建百年の大法要が営まれ記念事業の一環として新築建立された本殿は総鼾゙。祭壇の黒檀が人目を引きます。御本尊釈迦牟尼佛・三佛。左は獅子に跨る文殊菩薩、右には象に乗る普賢菩薩。ともに白木の美しく大きな佛像です。
 密厳寺では「新四国八十八ヵ所北海道霊場」を二行に、「第三十七番」と縦横6×3センチ三行書の寺印を拝見。明治31年米澤から来道の開山三十三回忌に当り開山堂を建立し文殊菩薩をお祀りしています。
 忍路の大忠寺は明治8年有珠善光寺仮出張所として開創され、23年の忍路全村大火で諸堂宇を焼失、番屋を移築して仮本堂としました。
現本堂は昭和56年落慶。ご本尊は善光寺型一光三尊佛、脇間に八大龍王神と西国三十三番観世音。寺内に奉安される地蔵尊は嘉永元年(1848)忍路場所請負人西川家(滋賀県八幡町)が発願主となりポンドマリ山上に安置されましたが明治年代、大忠寺建立に伴い遷座された地蔵尊です。
 因みに西川家六地蔵尊は@大忠寺(忍路)A桃内地蔵堂(墓地入口)Bオタモイ地蔵堂(オタモイ三丁目)C無量寿寺(稲穂)D正林寺(高島)E龍泉寺(祝津)。
 桃内で休憩した食堂主や漁家の話から「普門庵」は墓地入口に建つ地蔵堂かと思われます。堂内には祭壇が設けられていましたが施錠されていました。
 小樽市内に入り、長橋の興聖寺山門をくぐるとすぐ左手に丈六の如意輪観音像あり。長橋三十三ヵ所第一番札所で無縁供養塚が設けられています。滋賀県下から来道し開基は明治40年です。
 浄土宗無量寿寺が今回の結願寺となりました。御本尊は阿弥陀如来、脇に観音菩薩、勢至菩薩、般若心経・御宝号をお唱えするのも最後です。今年創建120年を記念し門柱、本堂土台、内部を補修し書院などを増改築して記念法要。地蔵堂にはお大師さまがお祀りされております。
雄鶏の歩みひたすら明易し

いたどりの花のかぶさり水流る

地蔵尊多き街並み夏の海

修験者の石文かすか稲の風

権現の草むす碑文夏の雲

みじろぎもせずに精霊とんぼかな

蝦夷遍路七十年をかさね秋

新しき塔婆の墨の香秋茜     
(ただまさ)